2012年10月14日

ウラックマさんのテキストへの回答


現在サイト TS解体新書 さまでウラックマさんが「入れ替わり」をテーマにした様々なテキストを寄稿されています。先日のことですがうちのサイトに言及したテキストを書いたというメールをいただいたのですね。

それが以下のものになります。

「入れ替わり」を定義する 第4回 事典は「入れ替わり」をどう説明したか(中)
http://www7a.biglobe.ne.jp/toshi9_kaitai/itadakimono/urakkuma/irekawari_teigi04_urakkuma.htm

うちのようなマイナーな趣味のサイトに言及していただけるのは大変ありがたいです。ただそれと同時にいくつか引っかかったものがあり回答というと仰々しいですが、いくつかレスをつけさせていただこうと思います。


◎「入れ替わり」の定義の話

ウラックマさんはこの「入れ替わり」の定義にものすごくこだわられておられるようです。ただそのこだわりの方向性というのが明らかに私のそれと違う種類のものであると感じます。間違っていたら申し訳ありませんが、ウラックマさんは以前「入れ替わりが実現することを夢見ている」といった旨のことを書かれていました。

うちのサイトで言うところの定義にはそういう要素は一切含まれていません

私自身もそういう要素を考えることは当然ありますが、少なくともうちのサイトに定義として置いてあるものには含んでいません。そういう要素を含ませるのであればまた別にテキストを書きます。なので実現を意識した定義として考えるとおかしいところがある、と言われればそれは間違ってはいませんが、そういう事を語る土俵にはそもそも私は乗っていないことになります。


◎事実の認識の話

ウラックマさんのテキストから引用します。

そして、このサイトにおける「入れ替わり」の考察で一番疑問に感じられたのは「入れ替わり」が現実にありえない理由だ。「実際にあったという話は聞かない」とは、執筆者の知識や見聞した情報だけを元に、現実にはありえないと書かれているように思えてしまう。
(中略)
しかし、「入れ替わり」の中には技術的なものも含まれるし、そちらのほうが実現の可能性があるということを考えれば、この考えは片手落ちのように思えてならない。

なるほど自分は森羅万象のことを知っているわけではないですし、資料もろくに当たったわけでない一般人にすぎません。自分の経験だけで語るには確かによろしくはないですが、単に「見たこと無いから存在しない」と言ってるわけではないです。

世の中には人知を越えた現象やそういった能力を有したという人間が現れたという話が数多くあります。透視や千里眼といったいわゆる超能力などは特に有名でしょう。ただそれらは真偽がはっきりしない中でも様々な検証が行われたという話が伝わってきています。ましてや入れ替わり現象なんてものは各種作品のおかげで知名度はそこそこ高いしそういった実験が行われたならば耳目を集める話題であるし伝わってこないわけがないんです。しかしたまに怪しげな事件として語られるくらいで、あり得るかもしれない現象であるなら当然通るであろう文脈にまるで乗ってないんです
ましてや有史に限っても何十億という人類が存在したわけで、そんな面白現象があった・あり得たということがあったとしたら知りたがりの人類が記録に残しておかないわけがないんです。人類をなめちゃいけません。そういう体験則を基に存在しないとしました。

技術で可能にする「入れ替わり」はどうなんだと言われるとそりゃ定義に含まれると思いますが、八谷和彦氏やカロリンスカ研究所だって入れ替わりを現時点で実現したわけではない(というかこれはそういう実験ではない)。漫画に出てくるようにスイッチ一つで入れ替わっちゃうモノとは程遠い代物です。理屈で説明つかなくても現実に「入れ替わり」が起きてるならウラックマさんが言うところの「定義」するだけの意味があるでしょう。でも今現時点で街中でサラリーマンと女子高生がぶつかっても入れ替わったりしない。それはもう存在しないと同義です。

ぶっちゃけますと定義を突き詰めることに興味がないのです。
自分にとって定義というものは作品の中で作者という神が「階段から同時に落ちたら入れ替わります。」と決めるだけで全く問題ない程度のものです。理屈は必要ありません。ドラえもんの「入れ替えロープ」がどういう理屈で出来ているかなんて微塵も考えたことがありません。うちのサイトには管理人が考え症なために色々と書いてますが、本当のところは入れ替わり状態になってさえいればなんでもいいんです。

また引用します。

「入れ替わりマニアックス」の作品リストには、後で「入れ替わった」ことが夢オチだとわかる設定の作品(たとえば、『あべこべ物語』や『ひみつのアッコちゃん』の一エピソード「三つのねがいのまき」)も含まれているので、その基準は意外に厳格ではないのだろう。

この部分などが考え方の違いが明確にわかると思います。夢オチは確かに「実存をひっくり返す」代物ですが、入れ替わりで描かれる要素は夢の中ではきちんと成立しているので問題ないのです。うちのサイトは入れ替わりの「物語」を言及しています。「実存」の成立は必要ありません。


◎実現を目指すなら取るべき方向

喩え話をします。「人が空を飛びたい」と考えたとして

(1)人は単体では空を飛べない
(2)では技術を駆使し空を飛ぶものを作って人はそれに乗ろう

というのが自然な流れと私は考えます。この(1)である事実の認識を否定したら話が始まりません。そこは揉めるポイントですらありません。「崖から落下したとしても対空時間が2秒を超えればそれは空を飛んだと言えるのではないか」とか言ってもしょうがないのです。そんなの飛んだと言えません。

「現在ある技術の延長で入れ替わりが実現できないか」というのは思考実験としてすごく面白いテーマです。入れ替わりそのものでない場合もありますが、それが実現したに近いものが描かれている作品もあるんです。その点を語ろうと思えば語れます。こういう命題が上がったとしたなら上の例でいうと(2)の話をしたいのです自分は。しかしウラックマさんは延々と(1)にこだわられておられる。

うちのサイトで扱う作品の定義で「○○の作品で描かれたような場合も該当としていいのではないか」みたいな話ならともかく「(実現も視野に含めて)入れ替わりはこう定義されるべき」という話は自分は乗ることはないと考えてもらって構いません。


◎最後に

うちのサイトは科学や医療技術という方向とはまるで無縁です。目指しているのはサブカルチャーです。それなりに知名度はあるが他の誰もまとめない同じタイプの物語を蒐集し楽しむためのサイトです。うちのサイトの定義はそのサブカルの中での位置付けを表そうとして書いたものです。

「入れ替わり」を現在の技術の延長で実現したものを描いた作品のことを知りたかったら聞いてください。喜んでそういう話をしますよ。


posted by クロエ at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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