2016年09月04日

『君の名は。』がもたらしたもの


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mf.gif 『君の名は。』公式サイト
全国劇場にて2016年8月26日公開

2016年8月26日に新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』が公開されました。少年少女の入れ替わり要素を前面に押し出したオリジナルのアニメ作品です。
自分も小説版・スピンオフ小説・映画本編と観てきましたがこれは入れ替わりというものにこだわってきたものとして語らないといけない、そう言えるだけの価値があるものだと思いました。

注意として記事に完全にネタバレがあります。
映画を全部見た前提で書いてますのでネタバレがイヤな人はここから先は読まないでください。

あと新海誠作品としてどうか――といったアニメ作品としての評価は色んな方がされていますのでそちらを参考にしてください。私はあくまで入れ替わり作品としてこの作品を評してみたいと思います。


■入れ替わりをうまく見せるテクニック

本作は入れ替わりを扱った作品ですが単純な使い方ではありません。
その舞台装置としての扱い方が非常に面白く感心しました。その点の話をします。

今回の『君の名は。』における入れ替わり描写は、田舎に住む女子高生と都会に住む男子高校生という遠く離れた場所にいる二人が入れ替わり、相手と直接コンタクトが取れないが筆談や周囲の反応によってお互いを理解していくという形です。
遠距離にいる人間が入れ替わってしまうというアイデア自体は当然初めてではなく今作の構造に極めて近い作品というと『パートタイムプリンセス』(2002)になると思います。

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こちらはファンタジー異世界の姫と男子高校生が入れ替わってしまうという話で直接コンタクトが取れない点など非常に似ています。この作品は片方が科学文明などない世界なのでコンタクト取りたくても取れないというのは考えるまでもないことでした。
ですが、『君の名は。』の二人はお互いに現代日本。通信が発達した世界なのだから物理的な距離はともかく連絡自体はすぐに取れるだろうと自分はこの作品の最初に設定を聞いた時に思いました。映画ではその行動を取ってませんが、小説版では連絡が取れないという描写があります。

メールや電話も試してみたが、なぜかどちらも通じなかった。

ーーー小説版 80ページより

なぜ連絡が取れないのか? ――
それは距離に加えてさらに時間も3年ズレていたから。
ことが明らかになります。そりゃー繋がらないですわな。これは上記の設定への疑問の回答になっていて感心したんですよね。

他にも夢を見て覚めた時、相手になっていたこと以外の記憶はぼんやりとしてしまうというものがありますが、これもこの設定を補強するものです。例えば3年ズレてるってなると「日付と曜日が違う」ことは普通にあるし何らかのきっかけで今年は何年か?を見ることだってあるはずだし。ご都合主義に取れなくもないですが、こういうエクスキューズをちゃんとしていることが重要なのです。とはいえ全体を通して「夢の中の出来事はいずれ忘れてしまう」とも整合性は取れてます。

こういう疑問に思ったことにちゃんと回答を用意してくれる作品は素晴らしいんですね。

また中盤瀧は口噛み酒を飲んで再度三葉と入れ替わりますが、ここから作品は三葉や糸守町の人たちを救う運命改変ものへと変化します。入れ替わりをお互いを知ったきっかけだけにせず、ちゃんと物語への解決にも使われているのが素晴らしいじゃないですか。


■時代を反映した男女入れ替わり描写

新海誠監督は「ジェンダーの差が主題ではない」と言ってますが中々どうしてこちらもよく描けてます。

真面目に言いますが
三葉になった瀧が三葉のおっぱい揉むのが良い!

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年頃の男の子が女の子の体になったら何をするかって言ったら「この娘に悪いから何もしない」じゃ決してない!「触って確かめる」に決まってるじゃないですか。

いやこれ自分も大人ですのでもっとエッチなことも思いつくんですけどそこを見た目にもおかしなことになってることがわかる「おっぱいを揉む」という一点に集約してるんですよ。
自分は男性なので女性視点はわかりませんが男性視点的には「男だったら当然」と思える行為なわけです。 見せ方次第で下品にもなる行為だけど、外面だけ見たら女の子が自分の胸を揉んでるだけだし。これはきっちりエッチかつコメディになってると感じます。

他に入れ替わってる時の仕草の作画とか。作画さんは言うならばキャラの演者でなんですが細かい仕草が実によく描けてる。演技も入れ替わり演技の理想である「声色は変えず演技を変える」になっていると思いました。

あと時代の変化もよく取り入れてると思います。
二昔前だと男女の入れ替わりものって男になった女側が損してたんですよ。女になった男って外見的には「かっこいい女の子」みたいに評価される感じですが、男になった女は「オカマ野郎」でした。

でも00年代くらいから徐々に性意識の変化が浸透してテレビではオカマタレントが表に出るようになって(これがいいかは人によって違うでしょうが)少なくともそういうキャラを受け入れられる土台は確実に広がっていっていた。2007年の『パパとムスメの7日間』では女子高生の娘の人格を宿した父親・舘ひろしの女の子演技は面白いと広く受け入れられてましたし。

三葉が瀧の姿で奥寺先輩のスカートを縫うというシーンがありますが、今だったら「女子力がある男子」といった前向きな捉え方なんですね。この部分が自然に受け入れられてるのが時代を上手く捉えてるのと同時にこの作品のセンスの良さを表してると思います。

それでも三葉になった瀧の描写が見たかったという人は安心してください。スピンオフ小説があります。瀧くんがブラジャーをつけるかどうかの葛藤が描かれてますので興味がある方は是非。


■入れ替わりの意識を進めた『君の名は。』

よく入れ替わりを扱った作品を指して「このネタ何度目だよ」「転校生のN番煎じ」といった揶揄をされる方を見かけます。色んな作品を見てる自分からすると決してそんなことはないのですが一般的に意識される入れ替わり作品の構造はずっと『転校生』で止まってるんですね。

つまり
[1] 何らかの衝撃で2人の体が入れ替わる
[2] 文字通り相手の身になって苦労する
[3] 最終的には元に戻る。
という構造です

中には[3]が元に戻らない場合や、[1]が3人以上だったりすることもありますが重要なのは[2]です。つまり入れ替わりという事象は「事故・事件」であり「非日常」であり「異常な状態」でありそれが解消されることによって物語が解決するという構図です。最初に入れ替わりネタを揶揄する人の例を出しましたが言い換えると「また同じ構造の話なんだろ?」と言ってるわけですね。

最近はそうでもない作品も増えてるんです。つまり入れ替わり要素を事件・事故に限らず前向きに扱っていく形ですね。入れ替わったことで二人の距離が縮まるというのは以前からあった一種の釣り橋効果みたいなものですが、入れ替わりは二人をより強く繋ぐものとしてこの事象を受け入れて前に進んでいくといったものがあります。

今作『君の名は。』でも序盤こそ普通の入れ替わりものですが、中盤以降は二人を繋ぐものであり、運命改変の鍵を握る重要な要素になってます。瀧が口噛み酒を飲んでまた三葉に入れ替わった時、「またおかしくなった」って思った人はいないと思うんですよ。「入れ替われて良かった」なんですよ。少なくともこれまでの定形の構造を大きく違えている。

この前向きな新しい構図を広く共有されたのがすごく大きなことなんです。

そういう新しい構図の作品は実は少なくないんですが、これまで多くの人に共有されていなかった。やはり一度に共有されるのは映像作品なんですね。今まで『転校生』の影響が一番大きかったですが、今でも入れ替わり作品を語る上では『放課後』や『パパとムスメの7日間』といった作品もよく名前が挙げられます。

この雑記を書いているのはまだ公開から一週間といったところですが、すでに大きく他ジャンルへの影響やネットを中心とした口コミ効果が多方面に広がってます。入れ替わり作品史を語る上で『君の名は。』という作品は間違いなく外せない作品で新しいスタンダードになりました。

ようやく入れ替わりというジャンルは『転校生』から一歩前進したんです。


posted by クロエ at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ・ゲーム作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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